Kanagawa Rescue Support Bike Network Kanagawa Rescue Support Bike Network


2004/7
新潟水害支援活動報告−1
記)山田泰

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7月13日新潟県で水害が発生、その約1週間後の7月21日夜、神奈川災害ボランティアネットワークが週末に水害片付け支援ボランティアを募集、バスを運行することになったとのメールが配信された。翌日仕事のスケジュール調整後参加申し込みしたところかろうじて定員に間に合った。90名の希望者があり、キャンセル待ちとなったことを後で聞いた。以下に7月23日(金)夜行日帰りで現地中之島町に行き、24日(土)土砂排出作業に従事した内容について報告する。私にとっては初めて経験で経験者の方々には新味のない報告内容かも知れないがその場合はご容赦いただきたい。私としては今後の自分自身及び神奈川RBの活動方法への大きな参考となる経験であったと感じています。以下感想を含め流れを解説します。
1.スケジュールは23日23:00横浜駅西口出発、移動および仮眠 (観光バス定員60名満杯)24日03:00 越後川口SA着、車内および屋外にてブルーシートに仮眠。SA草地に2枚のブルーシートとタオルケット、毛布が用意され有志はここで仮眠。(晴天が幸い。このアイディアは良かった。)
各自朝食後 作業衣に着替え07:30出発 08:00 中之島町着 ボランティアセンター 近くの宅地造成地に駐車後各自活動準備 6班を編成し中之島町ボランティアセンターに着いた。08:30 センターから徒歩約15分の場所の土砂除去作業を(3班約30名で)受け持つこと決定。各人作業道具を借用し現場へ移動。 (現場は決壊箇所から3−4分の織物業のお宅。)8時過ぎ現場着 活動開始、12:00 昼食休憩、13:00活動再開、15:30撤収、16:00 ボランティアセンターに戻るバスに戻り着替え等、17:00 長岡へ移動、スーパー銭湯で入浴、18:00 出発、22:15 横浜西口着といった流れでした。
2,現地での活動
被災地はどこ=バスはボランティアセンター近く区画整理済み造成地の草原(くさはら)に駐車した。ここにくるまで水害の家など無いし駐車した近辺にも普通に家が並んでおりどこに被災場所があるのかと思った。見回しても全くそれらしい風景がない。
班の編制:バスを降り各人携帯物品の確認後、田口リーダーの指示により60名を約10名ごとに6班を編成した。私は、1班永山班長(海老名災害ボランティア)に所属することになった。1人参加のためどこに入っても新しい友人が出来ると思い近くの班に入った。お互いの確認のためゼッケンをつけた。
ここから中之島町ボランティアセンターに徒歩で向かう。道を挟んで4−5分の所に学校の体育館があり、そこは既にボランティアで混雑し始めていた。登録机、ニーズ張り出しボード、貸し出し資材、ボランティアに提供される資材や飲料またシャツ等が整然と区分されていた。また、古いトイレであるががきれいに使われていたのは良い印象を受けた。(ボラセンの担当者が気をつけているのだろうと感じた。)その後ボランティア登録に時間を要するとのことで事務局があらかじめ参加者名簿を提出していると田口リーダーから聞いていた。6人の班長がそれぞれの班のメンバーが氏名記載のポストイットを手に持ちニーズ調整に行く。待ち時間にセンター内を見る。見れば見るほど整然としており、ここまで立ち上げることは大変だっただろうと想像した。資材土嚢袋、スコップ、1輪車。個人では持参できない必要機材が十分備蓄されていた。また貸し出しゴム長靴、個人配布用の軍手、ゴム手袋、防塵マスク、飲料水が必要者に配られていた。資機材の準備補給体制についてはその豊富さに驚いた。 いったいどこの組織がこれらをそろえ補給しているのか?
そして作業場所決定。1班永山班長から決壊した堤防近くの民家の土砂除去作業に決定したことを聞く。1〜3班まで、計30名が同じ場所に割り当てられた。私たちは土嚢袋、シャベル、ポリバケツ、デッキブラシなどの必要資材を係りの方からもらい、そして屋外に出て1輪車を借りそれらを載せて一段高い道路に押し上げて出る。現場への移動グループでまとまって移動を開始する。にわか編成でありしばらくすると自分の仲間の顔がはっきり思い出せなくなる。しかしゼッケンが迷子防止に役立つ。このころから日差しが強くなる。汚れても良い服装、ジャンパーに長ズボン、手袋、帽子、そしてリュックサックの完全武装のため汗が吹き出てくる。暑い。現場は15分くらいだという。広い道路の左端を一輪車を押しながら周囲の被災状況を発見しようと目を凝らしながら進む。被災状態ですが、はじめ周囲は何でもない家屋が続く。100m,200m歩くと道路に泥が少しあるのがわかる。更に行くと木片や家財が置いてある。道路際の家では水道で物を洗っている。なんとも声のかけようがないその寂しい姿。凝視出来ない。 あいさつをして良いものかどうか、自分の迷いに一瞬、嫌悪感を感ずる。更に進むと道路端には水没した家財が多く並び道路上は泥がたまり飛びはね要所要所に車両誘導の警備員が配置され懸命に交通整理をしている。家の壁に付いた泥水の痕跡、そしてかすかににおい始める初めてのにおい。進むにつれ被害がひどくなってくる。神社を過ぎ三叉路の交差点に出る。直進すると橋になるがここを左折した。2軒目が割り当て場所、到着した。これはひどい。家財、木材が山積み。中に入る。家の持ち主の話では1階が泥に埋まった。この     1階の床上の泥はボランティアのおかげで排出してももらうことが出来た。という。泥が1階の床上、それも人の背の高さまで積もってしまうとは想像できない。後から知ったがここの近くが決壊場所であった。
そして作業。我々の最初の作業は通路、庭の土砂排出だった。2人一組で土嚢袋に泥を詰める。重い、詰めた土嚢を一輪車のくる平らな場所までの3mを運ぶのがだんだん大変になる。どうしても袋の大きさで詰めてしまう。しかし土嚢から絞れて出てくるほどの水を含む泥土は重い。重くて続かない!袋に半分入れよう!と声を出す。そしてにおいもひどい。防塵マスクでほこりだけは吸い込むまいと思うがしていれば息苦しいし、しないと臭う。また、すぐのどが渇く。休み休みやらないと長続きしない。自分の持参した水はすぐ飲み終ってしまったが、ボラセンが時々補給してくれるペットボトルの水とお茶は十分な量があり助かったとともにありがたかった。これらの土嚢は1輪車で車道まで出しさらに大きな袋に詰めた。我々の作業はここまででその後はこれをショベルカーがダンプに積み込み運んでいった。もし庭までショベルカーが入れればもっと早く進むのにと思う。でもここは倒れかかった家の屋根を取り払わなければ重機は入れない。この作業場には、長野県消防インストラクタ、またTEPCOマークのボランティアが一緒に作業した。また、隣町から一人で来たという元気な若い女性がいた。彼女は我々の動きが緩やかになったときもペースダウンせずに頑張っていた。作業中は我々の一員と思っていたが我々のメンバーとの会話で被災地の隣町の人と判った。私は11時過ぎから頭と身体が熱くなって来たため30分ごとに水道で頭を洗い冷やし体調を維持しようとした。このころから若い人にも調子が悪い人が出てきた。仲間が一生懸命やっていても自分の調子がおかしい場合にすぐ休憩できる、言い出せる雰囲気や体制をとっておくことは現場リーダーの重要な役目と思う。熱心な人は、またペアを組んでいる人はなかなか言い出しにくいと思う。体力には差があるから。くたびれてこのお宅の水道で頭を冷やしていると交差点近くで千葉ナンバーの軽4輪で補給作業中の千葉RB丸山さん、岡田さんと遭遇し驚きながら挨拶した。ボランティアの安全確保や以上の早期把握のためボラセンと現場との連絡や補給は大変に重要だ。さて昼食は近くの神社でとった。主催者が用意してくれたおにぎり2個、たくあん少々、飲み物たっぷり(水、お茶、ポカリスエット)。若い人はこれでは持たないと感じた。自分でも2時過ぎに腹が減ってきてしまった。自分でも携帯食を用意しておくべきだったと思う。しかし持っているとしたらみんなの前でそれを自分だけで食べられるのか?。これは自分で気が付いておくべき事だった。(主催者への苦情ではない)
食後、午後は引き続き午前中の作業と持ち主からの要請で家屋内、床下土砂排除を実施。家屋の中はまず板をはがし(持ち主の知り合いの方)それを排出。その後床下の泥を土嚢袋に入れて1輪車の入れるところまで手持ち運搬。屋外に比し屋内は作業スペースが限定され人が投入できず時間がかかる作業だ。特に水切れが悪く重く手運び距離も長く大変な作業だ。今回ピークで50名程度投入されたが、これを家人や親戚の限られた人数で作業しても終わる物ではない。しかも1階床上にあった背丈ほどの土砂も昨日までのボランティアの方のおかげで取り除いてもらったとの丁寧な感謝のお話。ご主人と奥さんはヘリコプタで救助されたとのことだったが話している間は明るい顔をされていた。午後、日差しも気温もますます強烈になり、徐々に休憩時間が増えてきたが、自分のペースで休憩できたのは非常に良かった。15:30頃片づけの指示が出た。
3.感想
@ 被災者の家族だけの作業ではどうにもならない家の中の土砂がみんなの作業で少しずつ運び出され、退去時には割り当て部分がなんとか出来てほっとした。しかし現実から四六時中逃げられない被災者の方々を思えば(終わった!などという)迂闊な言葉を発せられないと気を遣った。
A24日23時帰宅した。今までに無い疲労で、帰宅後も頭と身体が熱く、 翌日まで頭痛が続いた。(これが熱中症かと思った)
B神奈川災害ボランティアネットの今回の企画はヒットだと思う。我々の求めているのは行動だと言うことがバスにたまたま乗り合わせた皆さんの言葉からもよくわかった。
4.以下私論です。(RB的視点から)
現場近隣の正常地域に拠点を設置しそこから支援を行う体制を検討すること。将来神奈川RBとして先遣隊を派遣できるとすれば現地情報収集とともに現場近隣の安全で疲労回復が出来る場所(安価な宿泊施設)を探索してはどうかと思う。このような拠点があれば参加希望者の現地への不安の壁はかなり除去される。また、集団での参加もしやすくなるだろう。(今回、神奈川RB井上さんは近隣のビジネスホテルに宿泊し活動したとのこと。)そして活動し始めたらばその状況報告を神奈川RBMLに報告。(インターネット環境を持っている場合)またJRB.ne.jp 災害掲示板への報告はさらに大きな範囲で情報共有を図れる。食事と休息については遠地から駆けつける場合、朝食はSA、昼食はコンビニおにぎり、くたくたになって帰路に就くのはあまりに危険。また、炎天下の土砂除去作業などは野良仕事の様に日中は休みを長く取り休息するなど検討の要がある。特にバイク参加の場合注意を要する。現場を見て驚くことは、現場はひどいが少し離れた(2−3km)周辺地区は全く平常地域。発災後早く現場に入りることで役立つことは多いのではないかと思った。その他中之島町の駐車場にいた湘南ナンバーのバルカン800のライダーと話しましたが伊勢原を朝7時出発、12時過ぎに現着、登録、作業したとのことでした。そのほかに相模ナンバーバイクが2台駐車していた。今回のボランティアバス、ボラセン、現場作業、その他でお会いしたすべての人たち、そして情報提供いただいた方々に感謝します。以上。

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